第8番 プロレス殿堂館

プロレス殿堂館

どうして天草にプロレス殿堂館があるの?と不思議に思う人も多い中、2022年4月にオープンしたプロレス殿堂館には、正真正銘力道山夫人の田中敬子さんが名誉館長に就かれています。
プロレスが大好きだった少年が、現在70才を越えて叶えた長年の夢である日本で最初のプロレス殿堂館を、ついに天草に建てたのでした。

夢を実現したストロング永田さん

力道山夫人田中敬子さんとストロング永田さん

プロレス殿堂館には夢が詰まっています。
 館長であるストロング永田(永田章一)さんは、少年時代からプロレスが大好きで、力道山を神様のように崇拝していました。
 稼業のアイスクリーム屋さんである永田冷菓の後を継いだあとも、プロレス好きは止まらず、ついに居酒屋リングサイドをオープンし、自ら覆面をかぶってお店を経営するほどでした。
 60才を越えた頃、尊敬する力道山のお墓にお参りしたいと思い立ち、東京へ出向いてお墓を訪ねると、ちょうど力道山夫人の田中敬子さんもお墓へお参りするところだったので、その時はじめて尊敬する力道山の御夫人田中敬子さんと出会い、その後は折あるごとに面談を重ねて、田中敬子さんからも親しみと信頼を得るようになったのでした。
 そんな経緯から、永田さんは長年の夢だったプロレスの資料館を天草に創りたいと思って田中敬子さんに相談すると、快く名誉館長を引き受けて下さり、会社の空き倉庫をそのまま活用して、プロレス殿堂館をオープンしたのでした。

誇り高き力道山

来館者と共に力道山の銅像で記念撮影

永田さんが力動さんを尊敬する理由は、敗戦後どん底に落ちた多くの日本人の心をプロレスを通して勇気づけたことでした。
 元々力道山は、角界で力士として生きる道を求めていたのですが、現代では考えられないことですが、朝鮮出身ということでその道を閉ざされてしまったのでした。
 しかし、力道山は祖語のプロレスラーとしてデビューし、巨体の外国人を相手に小柄な体で立ち向かっていく姿に日本中が歓喜し、ちょうどテレビが出回った頃だったので、力道山の試合をみたさに日本中の大人も子供もブラウン管にかじりつきになったのでした。
 大切なことは、人として尊敬される人は国籍を問わず慕われるということです。
 プロレス殿堂館に入るとすぐに目につくのが力道山の銅像ですが、元々この銅像は力道山のお墓がある東京の池上本門寺にあったものですが、天草にプロレス殿堂ができるのを機に田中敬子さんの思いから、プロレス殿堂館に移し置かれることになった、貴重な銅像です。

リングに上がる

由美さんとプロレス

 プロレス殿堂館で最も特別な体験ができるのは、リング上に上がって、ストロング永田さんがリングアナウンサーとなり、マイクを使ってリングネームを呼んでくれることです。
 意外なことですが、この体験は男性よりも女性の心に火をつけて、まるでプロレスラーになり切ったように、赤いタオルを首からとって振り投げたりと、結構盛り上がります。
 リングネームは、自分が呼ばれたい名前を自分でつけますが、これもまた面白いネームがでてきます。
 由美さんも、リングネームを呼ばれると、合気道四段の技を披露しながら、対戦相手を圧倒してしまいました。
 ここでも日常では味わえない非日常体験が、大人を童心に戻らせてしまうようです。

天草にいながらプロレスが楽しめる

 いまでこそ天草エアラインが出来て、福岡まで35分で行けるようになりましたが、天草は都会から遠く離れているのでプロレスの興行など見れないと思われてきました。
 しかし、プロレス殿堂館では、時々本物のプロレス興行が開催されて、地元の人たちが天草に居ながらプロレスを楽しむことができます。
 永田さんの次の夢は、ちょうどお遍路さんのようにプロレスの聖地巡りを日本中ですることで、もっと多くの人たちにプロレスを楽しんでもらいたいと思っています。
 そして、天草にプロレス殿堂館というメジャーな施設ができたことで、たんさんの人たちに天草に来ていただいて、天草の本当の素晴らしさを味わってもらうことです。

⇒天草の霊場紹介