浄土宗 無量寺(天草市久玉町)

無量寺(久玉町)

 浄土宗無量寺は、久玉城があった跡地に建てられた寺院です。
 境内地には、樹齢約三百三十年以上を経過している天然記念物の無患子(ムクロジ)の巨木があります。
 慶安元(1648)年に天草島原の一揆後、天領となった天草を治めた鈴木重成公の年代に植えられたもので、久玉城内に広大な土地を与えられた時のものと伝えられています。
 久玉町と牛深町とは隣接していますが、久玉町はお城があった城下町で、牛深町は漁業や海運業が栄えた漁師町でした。
 入り江の小高い丘の上に建立された無量寺には、昔の城跡の風情を感じることができます。

無量寺の三宅住職と由美さん

無量寺の三宅ご住職と一緒に本堂でスナップ写真。
三宅ご住職のご法話は、一揆後、苦難の中に天草をみごとに復興された鈴木重成代官の遺徳を称えるお話が心にしみます。

無量寺の参道にある眼鏡橋

無量寺の参道には、いまも残る天草市指定文化財(推定1716年~1735年建立)の眼鏡橋があります。
古き時代心の拠り所となった寺院に足を運ぶ村人たちの大切な架け橋でした。

鈴木重成代官の兄は名僧鈴木正三

鈴木正三公

 1638年の天草島原一揆後、幕府直轄の天領となった天草を復興するために着任したのが鈴木重成代官でした。
 一揆後荒廃した天草島の復興は、物だけではなく心の拠り所を失った島民の人心教化が最大の課題でした。
 その役を担ったのが、鈴木重成代官の兄で、42才の時に武士から僧侶に出家した鈴木正三公でした。
 鈴木重成代官は兄の指導で、天草に曹洞宗と浄土宗の寺院を建立し、禅と念仏による救いを説いたのでした。
 鈴木正三の説いた「万民徳用」の教えは、現代に通じる労働思想として国際的に評価されています。

⇒曹洞宗 普應軒