浄土宗 円性寺(天草市栖本町)

浄土宗 円性寺(天草市栖本町)

仏日山円性寺は栖本城跡の一部で、栖本郡代所跡に寛永十四(1637)年の島原・天草一揆の後、代官鈴木重成により建立されました。
 江戸時代には、知行(武士に与えられたほうび)三十三石をおさめ、幕末までは天草四ヶ本寺の一つとして存在しました。
 さらに、キリシタン信者の改宗取締役だけでなく、戸籍調査、通行手形、福祉教育などの行政的性格もあわせ持つ寺として、宗教行政寺と呼ばれていました。
 寺の開基は、正保二(1645)年三代将軍家光の代です。
 栖本郡代所跡は、現在の円性寺境内にあり、慶長八(1603)年から寛永十五(1638)年までの三十五年間置かれ、天草三郡代所の一つでもありました。

円性寺の石原住職

円性寺の石原ご住職と一緒に本堂でスナップ写真
石原文博ご住職は、西日本で唯一のフィルム映画館の天草第一映劇(映画館)をこよなく愛する映画通です。

円性寺の三途の川

円性寺の本堂に入るためには、最初に三途の川を渡らなければならなりません。
橋の手前がこの世で橋の向う側が浄土で、浄土(本堂)からこの世に帰る由美さんと石原住職は思わず合掌。

京都並みの大きな寺院がある天草

徳川六代将軍までのご位牌

天草は、1638年の天草島原一揆後、幕府直轄の天領となりました。
 そして、キリシタンたちが仏教に改宗するために、幕府は京都にも引けを取らない立派な寺院を建立しました。
 四ケ本寺という4つの大きな寺院を作り、その系列に浄土宗と曹洞宗の寺院を天草中に建てて、人心の教化と共に、治政を充実させたのでした。
 四ケ本寺のうち、東向寺(天草市本町)と國照寺(天草郡苓北町)は曹洞宗の寺院で、崇円寺(天草市河浦町)と円性寺(天草市栖本町)は浄土宗の寺院です。

 四ケ本寺は、徳川家の菩提寺として、歴代将軍のご位牌が祀られています。
 通常の藩主の元では、将軍家のご位牌など祀ることはできませんが、天草が天領である証として、将軍家のご位牌がこの円性寺にも祀られています。

⇒浄土宗 無量寺